ワイ「アジカンの曲良いよな」敵「でもボーカルの思想が…」←これ
とても大事な視点だと思います。「アメリカン・ユートピア」に関しては、デヴィッド・バーンが何も損なわず、言いたいことを明確に言っているように感じたし、すごくカッコいい大人だと思ったんですよね。音楽もすごくいいんですけれど、「よかった」では終わらない何かがあるし、映画を観た人にいろいろな気持ちを持ち帰らせる作品だなと。エンディングでデヴィッド・バーンが自転車に乗って劇場を出るんですけど、そこにもメッセージが感じられて。ただ、音源(アルバム「アメリカン・ユートピア」)の段階では「女性アーティストとのコラボレーションがまったくない」という批判もあったんです。映画が公開されたときも「アジア系のミュージシャンが参加していないのはなぜか」という意見があったし、社会的な課題はどんなところにも存在しているんですよね。それを受けて、また新しい作品につながるんじゃないかなと。
アジカン後藤正文さん、ソロ新作は故坂本龍一さんへの「近況報告」
自由でありたいとか、平和に暮らしたいといった当たり前なメッセージが、政治的に響いてしまう時代が、すくそこまで来ているのだとしたら、多少とも脳味噌に重さのある人間が音楽に政治を持ち込まなことは、ほとんど不可能だぞ。
2011年3月11日以降、OTOTOYでは『REVIVE JAPAN WITH MUSIC』と題し、音楽やカルチャーに関わるもの達が、原発に対してどのような考えを持ち、どうやって復興を目指しているのかをインタビューで紹介してきた。
K on X: アジカンの後藤が左翼思想なのはまあ…って感じなんだけど
【AERA2024年1月13日号(1月6日発売)】年末年始の「食っちゃ寝」から健康体重に戻したい人は脂肪燃焼スープ。できればおいしいやつ。そこで超人気料理研究家のリュウジさん見参、体が整う脂肪燃焼スープの新作レシピを紹介。リュウジさんだから味は保証付き、しかもフライパン一つで簡単!
コラムニストの小田島隆さんは19日、「あらゆる人間の営為を包摂する芸術である音楽から、特定の要素だけを排除できると考えている点でアタマがおかしい」などとして、「多少とも脳味噌に重さのある人間が音楽に政治を持ち込まなことは、ほとんど不可能だ」などとコメントした。
マルマルピスピスさんの回答「アジカン結構好きですけど、後藤はアジカンとしてのライブでは政治発言しないのでは?」
震災が起こる少し前、音楽史の本をよく読んでいたんです。僕たちは西洋から文化を輸入してロックをやっているわけだけど、日本語を使って邦楽としてやる上で、これからどう活動していくのが自分たちの文化を作ることなのか、アイデンティティーを保つことなのか、そういうことを考えていて。そして本を読み進める中でポップ・ミュージックの成り立ちに行き着いて。ポップ・ミュージックの初期のひとつの形って中世の荘園を転々とバイオリンを弾いて回っていた吟遊詩人なんですよね。彼らは「どこの荘園ではこんな事件があった」「あの辺では戦の準備が始まっている」「どこそこでは何が流行っている」とかを歌い語りながら、ニュース・ペーパー的な役割も果たしていた。ポップ・ミュージックにはそういう機能があったんです。じゃあ、これを模倣してみよう。ポップ・ミュージシャンが時を経て、同じ役割を担おうとするのも面白いんじゃないかと思って。
ちなみに津田さんは司会として、数年前からフジロックに参加されてるみたいですよ。
【炎上】アジカン後藤さん、フジロックで政治批判替え歌「ガースーもう ..
紙やメディアに記すことの意味については、ずっと考えているんです。音楽も同じで、例えばOTOTOYで音源を買えば、CDよりいい音質で音楽を楽しめるじゃないですか。じゃあCDで出す理由は何? メディアを実体化することの意味は何だ? という問いが僕の中にずっとあって、その答えは、インターネットより肉体性をもって実生活に飛び出すことなのではないかと。ネットでは検索エンジンにひっかからないと情報を集められなかったり、それなのに目の前の情報に飛び付かないと追いつけないほどのスピード感があったり、広がりがないというか… バグが少ない感じがするんですよね。実体としてある物の強さって、そこにある、否応なくある、というところにある。例えば誰かが喫茶店で「FUTURE TIMES」を読んで、広げたまま店を出ちゃう。次にその席に座ったアジカンのことを全然知りもしないおじさんが、たまたまエネルギーの記事を目にして、「これ、使えるな」と思って手にとる。そういうことが起こり得るのが面白い。実際、南相馬で林業をやっている人がペレットストーブ(木質ペレットを燃料とするストーブ)の記事を読んで「これは私たちでも出来るんじゃないか」と検討を始めたそうで、これってネットの中だけだと起きないことですよね。完全に音楽の現場を跳び越しちゃっている。音楽をやっている人の記事には、やっぱり音楽好きしか集まらないんで。
さっきの吟遊詩人の話とも繋がるんですけど、僕には「越境せよ」というテーマがあるんです。音楽に関しても、ジャンルを渡り歩いていかないと蛸壷になってしまうという危機感があるんですよ。アジカンは日本語でがっちりやっているから邦楽ロックってことになりますよね。お客さんもみんな邦楽ロック好きばかりが集まっちゃって、閉じてくるんです。そうなると面白くない。世の中は常に整理されようとしているから、そこに抗っていかないといろんなものが閉じていくように感じるんですよ。アジカンとしては、「NANO-MUGEN FES.」で抗って、細分化を拒んでいます。何においてもそうなんだけど、ヒップ・ホップやロックンロールやジャズが生まれた時って、何かを越境して文化が衝突した時ですよね。僕たちがやっている事はもっと狭いことかもしれないけど、それでもジャンルを越境していく意識がないと、音楽が死んでいってしまう。「FUTURE TIMES」においてもその意識はありますね。
名前の元ネタのアジカンの後藤が悪いんじゃ…… 72二次元好きの匿名 ..
Twitterで人を集めましたね。「俺、新聞作ろうかなー」ってつぶやいたら、わーっと反応が来て、取材で知り合った編集者の方が来てくれたり、会ったことのないイラストレーターの方もレスをくれて、作品を見せて頂いて良かったから声をかけていくとか。デザインはアジカンを一緒にやり始めて、途中で抜けてデザインの道に行った大学時代の友達にお願いして、第一号の表紙のイラストはにお願いして。
アジカン後藤正文と赤川次郎「共謀罪が必要なら五輪なんか開くな」
フジロックで、政治を持ち込むな、というニュースを見たけど、政治的な主張を含む音楽はかつてもあったし、今後もあるだろうから、自由でいいんじゃない? 結局、残るのは、楽曲としてすぐれたもの、人の心を打つもの。政治は、音楽の前では、恋と同じ、題材の一つにすぎない。いい音楽かどうかは別。
久米宏、明石家さんま、鴻上尚史、アジカン後藤、ウーマン村本… ..
何となくのテーマは僕が持っていきますけど、まあみんな考えてることはそんなに違わないので。でも「やりたいことがあったら言ってくださいね」とは伝えています。一号に掲載された岩手のページはスタッフの意向で作られたものですしね。その辺の感覚はバンドをやっている感じと近いです。コンポーザーとして最終的なミックスを見るというか。
アジカン思想強すぎるからめっちゃ好きってわけじゃないけど曲は ..
――本名の後藤正文名義で初めて出したアルバム「Recent Report Ⅰ」は、歌詞もメロディーもリズムもない楽曲で構成されています。配信日の3月27日は、昨年亡くなった坂本龍一さんの命日の前日ですね
アジカン#ASIAN KUNG-FU GENERATION#後藤正文
とにかく、放射性廃棄物の問題が気になっています。たった一カ所、フィンランドにオンカロという核の処理場があるけど、それもまだ動き出している訳じゃない。「INTO ETERNITY : 地下深く 永遠(とわ)に ~核廃棄物 10万年の危険~」(監督 : マイケル・マドセン)という映画にも出てくるんですけど、核廃棄物が無害になるには10万年かかる。10万年もあれば、その間に誰かが核廃棄物を解決する技術を開発するだろうっていう楽観的な思想に基づいて動いているんですよ。いろんな人の話によると、人類が言葉を発明して5千年強だと言われていて、5千年経ってもまだ正しく扱いきれていないじゃないですか。例えば、ラテン語を自由に扱える日本人がどれだけいるんだって話。現在の英語のような共通言語であったラテン語も、今では一般人には理解できないわけです。となると、もう、想像が及ばないですよね。想像もできない10万年後のことを前提にして物事が進められているんです。コストの面でも換算されていないんだから、これからどこかの世代が割を食う確率が高い。まあ、単純に言えば年金みたいなことをやってしまっているんですよね。もっとスケールがでかくて、もっと未来のことを考えていない、今生きている人たちだけの分配しか考えられていないやり方。これを続けていくと、とんでもないことが起きるんじゃないかって思います。
アジカン、大好きだったけど後藤が極左思想だと言うのを知ってから聴く気が失せた。音楽と政治思想は別だと言うのは頭では分かってるんだけど….
起こりましたね。そして同じものが日本中にありますね。使用済み燃料棒も原子炉の中に入っていれば、プールに入れておくよりは多少マシだろうけど、使い終わったら出さなきゃいけないわけでしょ。なら、もうなるべく原発を新設するのを止めて欲しい。僕が期待しているのは、どうにか原子力を使わないエネルギーに移行していけないかということ。仮に原子力を使い続けるならば、大量に出てくるプルトニウムとかを何らかの方法で無毒化するとか、放射能をなくすとか、分裂させるとか、そういうことを行えないと、この問題は未来永劫続きますよね。あと、人間が起こすヒューマン・エラーも怖いですよね。ああいう事故が起こって、責任が誰にあるのかがわからなくて、どうしようもなくなって、それを整理しないままもう一度使うっていうのは、筋道として危ない。
最悪のニュースに動揺してほとんど動けずにいました。ここに言葉を綴るかどうかについても逡巡しました。こんなことは許せない。
ロックバンド「アジアン・カンフー・ジェネレーション」のボーカル・ギターで、「Gotch(ゴッチ)」としてソロ活動もしてきた後藤正文さんが今年、(持続音)やアンビエント(環境音楽)に分類される音楽のアルバムを発表した。活動などに共に取り組んだ故さんへの「近況報告」として制作したという。歌詞もメロディーもない楽曲を坂本さんに届けようと考えたわけや、音楽と言葉をめぐって考えていることを尋ねた。
『REVIVE JAPAN WITH MUSIC』第九回 : 後藤正文 インタビュー
というか、やっぱり生活ってものに根ざして考えるのであれば、グリッド自体を狭めた方がいいんじゃないか、という話ですね。例えば大分でとれた海産物を東京で食おうとしたら、そりゃ色んなエネルギーを使うでしょってこと。地産地消って理にかなっていると思うんです。その考えが大きく広がっていけば、東京で使う電気を青森や福島から持ってくるってどういうことなのか、どれだけムダなのか、意識しやすくなるだろうし。これらは知識人たちからの伝聞でしかないので、僕はドンと「これが正しい」とは言えないんですけど。産業って本当に大きいから、ミュージシャンの知識で産業が使っているエネルギーまでをどうまかなっていくかを考えるのは難しい。でも、ミュージシャンであると同時に僕らも一人の生活者ですから、望んで選んで進んでいくのが正しい道筋ですよね。ただ、今一番問題なのは自分達でエネルギーを選べないことですね。異常ですよ、選べないっていうのは。
」「高校生に教えに行った件だっけ 非難されて…」「偏った思想 ..
だったら「日本から一気になくなった炭鉱の街のことはどう思ってるの?」「それを復活させることについてはどう考えるの?」「夕張市が破綻したことについてどう思うの?」と訊いてみたい。でも… エネルギーの産業って実は今考えているようなことが繰り返されてきて、トレンドが変わる度に人の考え方やライフ・スタイルごと変えなきゃいけなかったんじゃないかと思うんですよ。そういえばこの間、恵比寿の写真美術館にフェリーチェ・ベアトが撮影した江戸時代の写真を見に行ったんです。そこで思ったことなんですけど、江戸の町は発展していたけど、田舎の方の日本人は西洋の人から見れば未開の部族みたいだったろうなって(笑)。でも、そういう時代があったということをもう一度振り返って直視した方がいい気がする。1860年代頃からものすごい勢いでここまで来て、便利なことが当たり前みたいな顔をして生活していますけど、日本人は長らく未開の部族みたいな生活してきたんだよって。
久しぶりにアジカンの曲でも聴いてみるかな | 「朝からロック」(著
あとすんごい不思議なの、俺、ほとんどライブのMCで政治の話しないんだけど(NO NUKESとかのフェスを除く)、さもしてるような感じで絡んでくる(妄想してる)人が絶えないこと。大体そんな感じで、来たこともない人たち、本やTFTを読んでくれなひとたちだけが、そういうことを言うのよ。
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エネルギーの話じゃなくてもいい、未来に繋がれば。でも、今やっていることは未来に繋がると思います。世の中は個人の集積でしかないので、一人一人の意識が高まらない限りは何も変わらないと思うんです。個々の意識を少しずつ変えていくことが、今、僕たちにでき得ること。原発をなくすというところまでは直接的に担えないと思えます。だから、「花や実の部分までは手が届かないから、まずは土をやろう」みたいなイメージ。それをじっくり続けていくこと。10年続けたら何か変わるかもしれない。アジカンの「NANO-MUGEN FES.」も含めて、この抗い方には実感があるんです。僕らがフェスをやることで、アジカンの周辺には洋楽も邦楽も好きな人は増えてきましたからね。
アジカンのちょっとした秘話的な話、アジカン、ゴッチが影響を受けている邦楽洋楽 ..
「読経に宗教性を持ち込まないでください」みたいな言説だよね。フジロックと政治について。まあでも、「音楽に政治性を持ち込むな」みたいな意見は、リスナーは自由に言っていいと思う。そういう意見に忖度するかどうかも、作り手の自由。俺はまあ、書きたいことを書く。ってのがフェアだよね。