「サービス精神旺盛な商売人」トリドールHD社長・粟田貴也<前編


若い頃は、お金やノウハウはありませんが、夢に向かうモチベーションがあります。私が経営者として大切にするのも、社員のモチベーション。当社の人事は年功序列ではなく、モチベーションが高い人材には、若くても店長やマネージャー等の役職を与える方針です。また、当社はホールディングカンパニーとなり分社化を進めていますが、これもかつての私のような強い思いを持った人に経営者への道を開き、グループの成長エンジンとなってもらうためです。若い人には、夢を自分自身に問いかけ、言葉にして、有言実行を目指してほしいと思います。私は、その夢を形にする「キュレーター」でありたいと思っています。


トリドールHD粟田社長はなぜ新規出店の意思決定を人に任せるのか?

目標を定めた後の行動は、素早かった。もともと独立志向の強かった粟田氏にとっては、学士の資格は無用の長物であった。それよりも必要なものは開業資金である。そこで、迷わず大学を中退し、開業資金を得るために佐川急便のセールスドライバーとして勤務することになるのである。

ここで興味深いのは、ワタミ株式会社の創業社長である渡邉美樹氏との近似点である。渡邉氏も大学卒業後開業資金を得るために佐川急便のセールスドライバーとして勤務している。その後昭和59年5月に第1号店として居酒屋つぼ八のFC店を東京の高円寺に出店した。つまり、両名は、ほぼ同時期に佐川急便で開業資金を得るために勤務し、居酒屋を開業していることになる。

株式会社トリドールホールディングス 代表取締役社長 粟田貴也 後編つくる光景みせた讃岐うどん 「体験価値」で大ヒット ..

トリドール創業者社長の粟田貴也氏は、1961年(昭和36年)に兵庫県神戸市で生を享け、その後、兵庫県加古川市に居を移すことになる。

讃岐うどん店の丸亀製麺などを傘下に持つ、トリドールホールディングスの創業者、粟田貴也さん。
大学を中退し、トラック運転手として働いて貯めた資金で、焼き鳥店「トリドール3番館」を開業しますが、客が来ない日が続き、「客は何を求めているのか」を知ることの大切さに気づきます。
売り上げを伸ばし、店の数が増えても、客が本当に求めているものを探し続けたことで、客が感動する「体験価値」の重要性に気づき、製麺機の店内設置を貫く丸亀製麺の誕生につながります。
何度かの失敗を乗り越えて、事業を成長させてきた粟田さんの歩みを、ロングインタビューで伺います。

粟田貴也[トリドールホールディングス社長兼CEO]うどんが拓いた未来

讃岐うどん店「丸亀製麺」などを傘下に持つ、トリドールホールディングス社長・粟田貴也さんの故郷、兵庫県加古川市などを訪れます。
旧国鉄・加古川駅近くの路地裏で、初めて開いた飲食店「トリドール3番館」の跡地で伺うのは、開店から続いたお客が来ない日々の苦しさや、そこから「客が本当に求めているもの」を考えるようになった、ビジネスパーソンとしての『源流』と言える体験です。
「体験価値」の提供に取り組み、売上高を伸ばしていった「丸亀製麺」の1号店(加古川店)や、生徒会長としてリーダーシップを発揮した県立加古川東高校など、粟田さんの歩みを辿ります。

お子様からご年配の方まで、ご家族が一緒に楽しめる焼鳥屋を目指し、「とりどーる」の屋号で店舗展開を進めてきた 。いまやその軸足を讃岐うどんの店「丸亀製麺」に移しながらも178店舗(2008年1月末時点)を有する一大外食企業に成長した。創業当時は、「何とか3店舗は経営したい」と考えていた粟田貴也創業者社長も、ここまで大きな外食企業に育つとは思っていなかったと言う。創業業態にこだわらず、新たな業態開発で成長しているトリドールの歴史を紐解いていきたいと思う。

つくる光景みせた讃岐うどん「体験価値」で大ヒット トリドールホールディングス・粟田貴也社長 ..

行き着いた答えが、焼き場をお客様に見ていただくことであった。つまり、オープンキッチンにすることである。それまでの焼き場は、店の奥の方にあった。それをお客様の目の前に持ってくることにより、活気のある店に見せるだけではなく、お客様との会話がより深まることになったのだ。そして、お客様の数も徐々にではあるが増え、多くのお客様に来ていただけるようになったのである。また、このオープンキッチンの考え方が、後々の店舗レイアウトの基本ともなったのである。

【会社設立】1995年(平成7年)10月。
【会社概要】家族で利用できる本格的な焼鳥屋を志し、を、ロードサイドを中心に展開。
その後、ショッピングセンターを中心にセルフ讃岐うどん店「」に事業をシフトするとともに多業態化をはかる。
2006年(平成18年)2月に東京証券取引所マザーズ市場に株式を上場。
【経営理念】「ひとりでも多くのお客様に いつまでも愛され続ける 地域一番店を創造していこう」
【代表者】代表取締役社長 粟田貴也


トリドール 代表取締役社長 粟田貴也さん. 国内外で797店展開の「丸亀製麺」 手作り・できたてを世界に発信.

なぜ「丸亀製麺」は、うどん業界でぶっちぎり1位の繁盛店になれたのか?
国内外で快進撃を続けるトリドール、
創業社長・粟田貴也氏による初の著書。


一軒の焼き鳥屋から始まり、丸亀製麺をヒットさせて上場、急成長。いまでは国内外約20の飲食ブランドを持ち、世界外食十傑を目指す。そんなトリドールの成功の源泉には、一度見つけた「勝ち筋」はぶらさない、独自の経営論があった。

「外食は『最も身近なレジャー』だ」
「『体験価値』が人を惹きつける」
「他の人がやらないことをやり抜いて、オンリーワンに」
「『省人化』の流れに逆らい、『増人化』する」
「お客様の感動は、働く人の幸せから生まれる」
「人の集まる会社が、最後に勝つ」
繁盛店を次々と生み出し、軌道に乗せてきた
異端のリーダーシップを、いま解き明かす。

「本書は、成功した起業家の自伝、
なんてものではありません。
トリドールはまだまだ成長途中であり、
毎年のように新しいことを始め、
失敗と成功を繰り返しています。
そんな私たちの姿を通じて、
外食産業のダイナミズムとおもしろさを
伝えられれば幸いです」
——本文より

目次
第1章 外食産業には夢がある
26兆円の外食産業市場で大きな夢を追いかける/なぜ外食産業市場の成長は止まってしまったのか/外食は「最も身近なレジャー」/飲食サービス業の経営者として見てきた居酒屋の変遷/立ち呑み屋が高齢者のサードプレイスになるかもしれない/自分の体験をヒントに新しい業態をつくるおもしろさ

第2章 夢を現実にしてきた道のり
「3軒出す」と決めて「トリドール3番館」と名付けた/客が来ない絶望を乗り越え、工夫を重ねて繁盛店に/出店ペースを上げたくて、わけもわからず上場を目指す/製麺所の行列に衝撃を受け、セルフうどん業態を開始/憧れの経営者の存在が、成長への原動力になる

第3章 非効率でも体験価値にこだわる理由 キーワードは「二律両立」
香川の製麺所の行列を見て長年探し求めていた答えを見つける/チェーン展開に潜む標準化の罠/二律両立をやり抜くことで、他社の追随を防ぐ/イレギュラーなデータから成功のヒントを掘り起こす/コロナ禍でヒット 茹でたてが食べられる「丸亀うどん弁当」/振って食べる「丸亀シェイクうどん」で新たな客層を掘り起こす/3年かけて開発した「丸亀うどーなつ」 商品開発も感動創造が最優先/商売は、インサイトを読み取る崇高な心理ゲーム

第4章 「人」こそすべての源泉
省人化の時代に逆らって「増人化」していく/日々の仕事に目標と誇りをもたらす「麺職人制度」/「育てる」と「任せる」は近い 成功体験で人は育つ/スタッフの一挙手一投足から体験価値が生まれる/「働きやすい環境」が先にあり、感動を生み出す人が育っていく/「粟田未来塾」で全国行脚 膝突き合わせて話す/人との接点以外は大胆にDX 需要予測はAIで/採用難の時代への備えは まず離職を減らすことから/離職率がこれからのトリドールの命運を左右する/「働く人の幸せ」を独自にモデル化/給与システムを変えコミュニケーションアプリを独自開発/ホールディングスと各事業会社の間の距離感を解消する/CX(顧客体験価値)とEX(従業員体験価値)は表裏一体/可視化と数値化を徹底し、成長モデルを確立していく

第5章 言葉で「勝ち筋」を明確にする
企業の成長に合わせ、数年ごとに理念を刷新/「感動(KANDO)」こそが私達の原点/積み重ねてきた成功体験を「成長哲学」として言語化/「感動」には2つの種類がある/新組織「KANDOコミュニケーション本部」の設立/イベントや企画を通じて社内の隅々に浸透させていく

第6章 世界で約5000店舗を目指す グローバルフードカンパニーへ
ジョギング中に出会ったハワイの空き物件がすべての始まり/初日の売上を見て驚愕 海外進出を決意/日本らしさにこだわらず 現地好みにローカライズ/ロンドン店の一番人気は「チキンカツうどん」/アジア料理店のM&Aを重ね 海外進出を加速/ピザ業態にギリシャ料理も 共通するのは「体験価値」があること/考えすぎて失敗したケニアのテリヤキチキン屋/海外進出の成功確率を上げる切り札「ローカルバディ」/トリドールらしい海外進出の勝ち筋「KANDOトレードオン戦略」/海外に出るリスクより国内に留まるリスクの方が大きい

第7章 社長はキャスティング業 目指すは「増殖する組織」
大きな目標を達成したいから すべてを自分で握らない/海外の経営者と一緒に会社経営している感覚/人を頼り、人に任せる「弱者の経営」/「人」を揃えるため、本社を渋谷に移転/持続可能な社会の中で、持続的に成長していく/100年先もトリドールが食の感動を届ける会社でいられるように
粟田貴也(あわた・たかや)

株式会社トリドールホールディングス 代表取締役社長 兼 CEO
1961年兵庫県神戸市生まれ。兵庫県立加古川東高等学校卒業、神戸市外国語大学中退。1985年、兵庫県加古川市に焼鳥店「トリドール3番館」を創業。1990年に有限会社トリドールコーポレーション設立。2000年に丸亀製麺の国内1号店を出店。2006年東証マザーズ上場、2008年東証一部上場、2016年株式会社トリドールホールディングスへ商号変更。「食の感動で、この星を満たせ。」をスローガンに掲げ、唯一無二の日本発グローバルフードカンパニーを目指す。

「丸亀製麺」などを展開するトリドールホールディングスの粟田貴也社長とニッポン放送の番組で対談した。出会いは28年前だ。 (1/2)

トリドールホールディングス(東京)社長で兵庫県加古川市出身の粟田貴也さん(61)が18日、加古川観光大使に就任し、加古川プラザホテル(加古川町溝之口)でトークイベントに出演した。1985年にJR加古川駅前に居酒屋「トリドール三番館」を開き、2000年にはうどん店「丸亀製麺」1号店を市内に開業。「加古川で実績を積んだのが、全国展開する勇気になった。地元に応援してもらい励みになった」と話した。

トリドールホールディングス社長の粟田貴也さんと当時25歳の実業家・山中哲男さんが、丸亀製麺ワイキキ店成功までの舞台裏を初めて語った。

修行時代を経て、1985年に焼鳥居酒屋「トリドール三番館」を開業。しかし、当時の私は一通りの料理はできても経営は素人で、仕入れの選定や資金繰りも手探り。最も苦労したのはやはり集客で、店は閑散とし、ほどなく閉店の危機に陥りました。お客様を呼ぶ方策を次々に試し、無数の失敗の中、少しでも手ごたえがあれば突き詰める。その連続で、なんとか売上を伸ばしていきました。
危機に陥った時、また新たな事業展開をする時、私を突き動かすのは「このままで終わってよいのか」という気持ちです。1号店が軌道に乗って経済的に楽になっても「自分はここでは終わりたくない、夢はもっと大きい」と、店舗展開していきました。その後、うどん専門店「丸亀製麺」のオープンと拡大、海外進出、上場と、ターニングポイントはいくつもありましたが、すべて潜在的な自分と対話し、決断してきたのです。

外食・大量閉店時代でも躍進! 知られざる丸亀製麺のサバイバル術

一軒の焼き鳥屋から始まり、「丸亀製麺」の大ヒットから東証プライム上場を果たしたトリドールホールディングス(HD)。今や国内外に約20の飲食ブランドを持つまでに成長したグローバルフードカンパニーは、なぜ次々と繁盛店を生み出せるのか。本連載では『』(粟田貴也著/宣伝会議)から、内容の一部を抜粋・再編集。「外食は最も身近なレジャー」をコンセプトに快進撃を続けるトリドールの戦略ストーリーと、成功の源泉とも言える独自の経営論について、創業社長・粟田貴也氏が自ら明かす。

株式会社トリドール 代表取締役社長 粟田 貴也(Takaya Awata)氏

粟田さんは同市立平岡小、平岡中を経て、加古川東高校を卒業。同社は現在、丸亀製麺など約1800店を国内外で展開している。

トリドールホールディングス 粟田 貴也社長 2021年11月22日(月) 9:45~(「朝エクスプレス」内)

第2回は、製麺所の風情を生かした特有の店舗設計をはじめ、各店で何もかも手づくりするオペレーションなど、セントラルキッチン化の真逆を行く非合理なチェーン展開に丸亀製麺がこだわる理由を探る。

トリドールホールディングス創業者 代表取締役社長兼CEO 【東証プライム上場】

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